Minstrel☆Sanctuary

海の中から眺める太陽


 ジャン・コクトーは、シネマトグラフ『オルフェ』の中で、詩人を「書くともなく書く人」と彼の分身オルフェに語らせている。俳人という存在も例外なく書くともなく書き、すべてを書き尽くさない。

 それはなぜか。書き尽くすと作品が単なる説明や報告に終わってしまう。感動の実況中継に懸命になるあまり「それで?それが一体どうしたの?」と逃れられない疑問符を突き付けられる。対象への想いを言葉だけで尽くすことは不可能。では、創り手はどうすればいいのか。季節の匂いや光や影を十七文字に仕舞う。零れ落ちる想いを掬い取って響かせるには。その為に原石を磨く=推敲は重要な手立てのひとつである。思い切って削り、捨て去ることで封印は解かれ、創り手は一歩一歩詩の本質へと近づいてゆく。

 余韻・余情の作品からは描かれない風景が、響きや彩を伴ってリアルに見えてくる。読み手の心にさざ波を立てる瞬間だ。然も自己の投影が鮮明になるほど、その光景は読み手の中で無辺の拡がりを見せ、次第に沈み深まってゆく。余韻・余情とは、例えば海の中から眺める太陽なのかも知れない。素の太陽が見たままの五・七・五ならば、海面という濾過装置を通して立ち顕れる未知の景こそが、余韻・余情。その景を探す心が余韻・余情に寄り添うことを可能にする。

 言葉で表現しきれない情趣を伝達する宿命の創り手と、表現された文字の外にある感慨を想起する読み手のロール。創り手と読み手双方の心が奏で合うバイブレーションにより、余韻・余情の世界は限りなく増幅する。はじめて出逢う作品や作者と、時空を飛び越えて繋がり合える。この不思議に導かれながら、先達・先輩の作品を読み解いてゆこう。



余韻・余情を探る十二句鑑賞・冬・新年☆概論
俳句10月号 2006
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by minstrel1209 | 2007-01-21 10:37 | review