Minstrel☆Sanctuary

心が覗き込む景色   

 
 春の句の失敗と成功
       
①蝌蚪生れて影よりもよく動くこと 野田久美子[失敗]
②薄氷の氷のひかり放ちけり    吉田鴻司 [成功]
 
 春寒の頃、河原の岩場で見つけた蝌蚪の群れ。もう足が生えかけているのやら、まだ半透明の管の中で蠢いているのやら。命の生まれる瞬間に立ち合うとき、人は心を大きく揺らす。たとえお玉杓子であっても、極小ゆえの愛しさがこみあげる。最近、何かを見ると影というものの存在が気になって、真っ先に蝌蚪よりも影を目で追ってしまう。命の在る限り、翳るときも照るときも影は分身で在り続ける。命が生まれ出づる季節=春は、影も躍動を始める。

 ①の失敗はまず「よりよく動く」にあると自己分析。これらの言葉は一見達者に見えて、使ってみたくてうずうずするが、危うさを抱えている。「蝌蚪生れてたちまち影の浮きゐたり」と視点を変えて推敲。影への執着と共に、影と切り離せない憂鬱をも表現したかったが、自得できなかった。この悔いを忘れず心の奥の抽斗にしまう。いつかどこかで蝌蚪に遭遇したときの為に。

 春は冬のモノトーンの世界を耐えた歓びに溢れ出す。けれどその明るさと同時に、光の中の春は一種淋しさや脆さを合わせ持っているのではないだろうか。心だけが身体からふわふわと漂い出してゆきそうな。その感覚を無意識に包み込んだ作品こそが優れた春の俳句であると私は確信する。

 ②はその結晶体。同じ作者に③「薄氷の何やら抱へゐたりけり」④「薄氷のうごいてゐたる景色かな」がある。中でも②は、純度を深めた薄氷の世界を構築する。冬の極寒に張る重量感のある氷とは対照的に、早春の氷は触れればすぐにでも壊れそうなほどナイーブで透明だ。さみどりの萌え出たばかりの草か花屑か、それとも小さな生き物か、そんな儚い何かを抱えていたりする薄氷。或るとき透き通った薄氷のスクリーンに動くものは、作者にとって懐かしい山河なのか、風景の中の人間そのものなのか、図らずも心を掻き立てる何かであるはずだ。

 一方、②では、作者のまなざしは薄氷の「氷のひかり」にフォーカス。③や④に表出されたもろもろの春の兆しを内包しつつ、空の光源が余りに強すぎて、薄氷自体から放たれる眩しい輝き以外何も映さず、目には見えない。明るい春の景色が取り囲んでいるその中にあって、作者の心が覗き込む唯一の存在としての薄氷。触れてはならないけれど、ひかりへと手を伸ばしてしまう。そのつめたさに触ってみずにはいられない。なぜなら、そのひかりは只管作者に向かって放たれている。そんな象徴性を感じる作品だ。

 失敗と成功について考えながらここまで辿り着き、改めて俳句の許容量に驚く。けれど志を高く持つことで、叶わぬ夢に近づく一歩を始められるのも俳句。俳句は人の想いを呑み込んで、宇宙のように広がり続けているのだから。
               

    
俳句 3月号 入門特集 2005 
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by minstrel1209 | 2007-01-24 09:20 | review